ayumiko

殴り書きしかしてない

考えても、考えなくても

好きとはなんだろうか

 

過去の友達を思い浮かべてみる

 

そうだよな

嫌いじゃない、というだけじゃなく

好きだったよな

 

 

でもなんで…

 

 

 

 

私と仲良くしてくれるから?

私を傷つけないから?

だから好きだったのかな?

 

じゃあそれは、その人じゃなくてもよかったってことなのかな?

いや。でもそれは、わたしが嫌いなタイプの人がそうであっても好きにはならなかった…

 

あの子にもあの子にも、苦手なところは必ずあった

 

Aちゃんは、他人の物を欲しがるところとか、それを素直にあらわさないところとか、まるで奪うように姑息な手を使うところとか…

あとは、ぶりっ子するというか、自分は特別だと思っているところが態度(言動?)に透けているところとか

人が貧乏で苦しんでいるときには口を慎むけど、そこに楽しげな気配を感じたり

ちょっといやな子だったんだよな

表面に堂々と出さなかっただけで

 

 

Bちゃんは、何を考えているのかわからないというか、本心を隠している?ように見えるわりに、些細なことで激昂したり、

主にそういったときは親をバカにするかのように辛辣な態度を取ったりなのだけど…

あとは、人を実験体を見ているように観察しているような気配がしたり

頭がよく勉強ができるわりに、へんなところでバカだったり

 

そういう、ところが苦手だった

 

 

苦手なところがあったけど

苦手なところが一つもない人なんてそういやいなかったかもしれないけど

 

なんで、それでも好きなんだろう

 

きっと自分に何かをもたらしてくれるからなんだろうな

 

 

そういう、自分になにかをもたらしてくれる人であっても、嫌いなタイプという人のことは

どうあっても好きにならないというだけのことなんだ

たぶん

 

 

じゃあ好きってなんなの

存在するの?

 

 

 

 

………

 

でも、たぶん、人間て

そこまで崇高な存在でもない

ただの動物

 

んなこと解明しなくても

ただ飯食ってクソして

そのとき楽しくて

たまには怒って

あとは忘れて

なんも考えずに

意味も理由も意義さえなくてよくて

ただ呼吸して生きてるだけで、それだけでいいんだろうな

それが、いいんだろうな

本当は

 

自分以外のことなんて考えなくてもいい

自分のことすら考えなくていい

人間は、ただこの体に血を巡らす、それだけの生き物

この宇宙に存在している、ただの物質にすぎない

己になにが起こっても理由も答えもない

学びも探求も尽きたと

心理学者は、その考えに行き着いたから、死ぬんだろうか

それは仏教で言うところの、悟りというものなのか?

 

 

きっとなんにも考えずに、そのときの快楽だけで生きて

それをなんとも思わない

どころかそれを謳歌する、し続ける人が

この世にずっと生きていられるんだよな

 

人間なんて

二足歩行もできて、計算もできて、物も扱えて、社会的なルールまで作って

ずいぶん立派なように勘違いするけど

そんなふうに生きなくてもよかったんじゃなかろうか

 

なにが得意だとかそんなことも

優劣つけられるほど

神様でもあるまいし

 

人間、どいつもこいつもただの人間だよ

ヒトっていう種類の

 

 

ただ海を泳ぐ魚のように

生きていたら

よかったのでは