ayumiko

殴り書きしかしてない

貧乏人は愛を持てない

 

愛さえあればそれでよかった


だけどさ

ゾンビ映画なんかでみるように

人間、極限状態になったら愛なんか持てやしないのよ

たとえ我が子であったとしても
自分が生きたいから子供に死ねって思うものなんだと思うわ


気力だけでなんとかなるほど、人間の力は偉大じゃない


限度というものがある



昔の子供はどうだった?売られたり見捨てられたりしなかったか?


そういう話たくさんたくさんきいてきたよね


今の人間は違うと主張しなさるか?
まったくわけがわかりません



『親はなにがあっても子供の味方』

『親なんだから一生懸命話せばわかってくれる』


そういう言葉が大大大大大嫌いだった


それはまずマズローの欲求階層の一番下が満たされないとはじまらない話だわ…



幸せな人たちだ

この人たちは
そういう、「親が子供を愛する世界」しか知らないのだ
そこに罪はないと思うが


前提が私達とは違ったから
なんだか話が噛み合わないようで


自分が不幸なときに幸せアピールされ続けるような気分で
それが正義だとふりかざされているようで


いたたまれなくて


けっきょく、わけありな子供とばかりいた

半グレってほどでもないけど、初対面でわかるよね、あの独特な雰囲気



創作物で、自分の身の上話を退廃的な雰囲気で語るシーンを見て

他人と心が共鳴するあのかんじを思い出したの


そのときだけは
仲間だったと思う



もうあんな経験はできないかもな


つらい境遇だとそれはそれで、普通の人が経験できない、いいものを得られる気がする
それはちょっとはよかったかなぁ
まあ、儚いもんだけれど






門限という言葉を友達からはじめてきいた

遊ぶ前にランドセルを家に置いてくるものだと知らないおばさんからはじめてきいた


子供に死ねというくらいなのだから
私なんて帰ってこなくてもいいのだろう
むしろ自分が手を下さずに私がどこかでなんとかなってくれたら、願ったり叶ったりなんだろう


そう思いつつも、犬のように懐いていい子で生きていく


虚しい
悲しい
体を雑巾絞りされているようだった





金持ちじゃなくていい
けど
普通の愛がある、普通の家庭に生まれたかった


金持ちが問答無用で愛を持てているかというと答えはNOだと思うが
(人を愛することの第一関門は心の余裕で、その次が人間性だと思うから)

貧乏だと、まず持てる愛すら持てないものだ


と、私は思う




綺麗事だ

人間、けっきょくは自分が一番かわいいんだよ




そんなことない!って思うなら思っててもいい



けど、私はこう思う

それだけ


わかりあえると思ってないし、わかりあう必要もない



ただ、私の世界はこうだったということ