幸せというものは誰かの犠牲の上にある
あの頃からずっとそう思っている
あの卒業式の日
自分勝手にふるまって
人の腰巾着やって
虐げていた側の人間が
なんにも悪いことしていないみたいな顔で
いまきれいに卒業しますといわんばかりの顔で
なんだろうね、あれ
さも潔白かのように振る舞うあの人の
友達との別れを泣いて惜しむ姿を見ていたら
なんだかすごく軽蔑したんだよな
よく泣けるわって
人の立場やものを奪うような人間が
軽蔑したけど
やっぱりこういうとき、素直に人生を謳歌できる人っていうのは
自覚があるのかないのかわからんけども、誰かの犠牲の上に立っている、奪う側の人間なんだろうなって
少し、いやかなり、羨ましかった
いや軽蔑したけど
見苦しいから、なりたくもないけど
あの学校生活で学んだことは
中立なんて無理で
やるか、やられるか
なんだなって
ことくらい