ayumiko

殴り書きしかしてない

なんにも見ていない

人が死ぬっていうのは、一つの世界がなくなることなんだなって思ったよ

ニュースにならなくても、世界中の人間が知らなくても、
周りの人の世界は変わって、それも一人のだけじゃない、故人を大切に思っていた人すべての世界を変えてしまうって、いったいいくつの国が滅んだのかしれないのと同じくらいに重大なことだと思ったよ



みんなどうやって人の死を乗り越えているんだろうね
私の年齢では同年代はまだ祖父母も生きている人が多いから、そんなこと話せる人も探す方が難しいけど
世の中の人はきっと人の死を体験している人の方が多いよね?
来年には50歳以上の人口が半分を超えるというし
かなりの人が人の死を体験しているのか、と気づいたら
なんだかその人たちが戦士のように見えて
本当は色々質問したいんだ
年齢に関与することだから失礼になりそうで聞けないんだけどね


私は
なんで?としか思えなかったよ
納得できなかったよ







あの場所にいるだけでつらい
だって本来はここにいたはずなのに
一生つきあっていく仲だと思っていたのに
いない上にこの先もない
どうして?どうして?ってそればかり思って
違う人と話す気にもなれない
だってあの子がいたらあの子と話すんだもの、それをいないからって違う人と話すのは裏切りのように感じて
なにより、もういないけどあの子に証明したかった
あの子以上の友達なんていないって
それがなんの意味もないことはわかっていたけど
そうしていないと気持ちが悪かった
罪悪感で死にそう
大切だ大切だと思っていても笑って過ごす気になれなかったの
前に進まなきゃいけないし、それは諦めるということなのだろうけど
やはり年齢が若すぎたので、しかもなんの予兆もなくいきなりいなくなったので、どうしても諦められなくて
最後まで信じられなくて呆然と生きていたように思う
外国にでも行って転校したとか、どこかで記憶喪失になってるけど元気に生きていると思い込みたかった
脳は間違うものなのに、これは間違えてはくれないのね、思い通りになったらいいのに
なんてことを、自分ひとりの世界でずっと考えてた
頭の中では願望を見て、目の前の光景はただの動画みたいに思えて
観察していただけだった、生きていたのでは、なかった



違う場所に移ったら楽になれるだろうかと思った
進学して、あの子がいるわけもないところにやってきたけど
誰といても、あの子だったら…と思ってしまう
誰といても、あの子をみてしまう、あの子との違いを見つけてしまう
これが、なくなった人を探してしまう行為なのかと思った
どこにいっても苦しみからは逃れられないと知ったよ
場所が変われば違う苦しみがあると知ったよ
場所くらいで解決できたら苦しみじゃないよな
それだったら屁みたいなものよね
馬鹿は私だったわ


いつだったか突然思う
ぼーっとしてるときにくるひらめきみたいに
こうしていつも心の中にあの子がいるのなら
どこにいてもあの子と生きているといえるのではないかと
それがあの子が大切だという証明になるのではないかと

死んだ人は心の中で生き続けるなんていうけど、そんなのはただの記憶の残像みたいなもので、心の中で成長もしない、会話もできないのは嫌で、実際死んでるし、そんな綺麗事はなおさら反吐が出る
そんな事実には1ミリも救われない
けど、心の中だけで生きていてもどうしようもないけど、いつも一緒だからそれでいいと、自分で納得できたなら
それが私にとっては正解なのかな、と
そう思えたことに納得できた気がする


なんでも納得しないと無理なの、受け入れられないの



私は自分なりに、あの子が大切だと、自分に証明さえできたら
前に進めるのかもしれないと思ったよ


人が死ぬって
まわりの人の世界を壊すこと、人生を失わせること
なんだなと思ったよ


だって私、現実を生きていなかったから
いないはずのあの子との生活ばかり願っていたものだから
記憶ないの
そりゃそうよね
“見ていなかった”んだから 
記憶にも残らない


私は無駄に呼吸をしていただけ