「〇〇ちゃん、家に呼ぼうね」って母は言うけど
たぶん無理だって、頭では思ったよ
だけど
もしも、とか
いつか、とか
そういう、起こるかもしれない未来(まだ死んだと断定できないから)のことを語ると
なんか希望がわくというほどじゃないけど
うっすら願うことくらいは許されたような気がした
そのときだけは、生きてるに決まってるって思い込めそうな気がしたから
現実逃避かな
だってここまで連絡なかったら、そりゃ無理だよ
だけどもしも
遠くの地で自分の名前を忘れて、見動きが取れないとしたら?それでも一応は生きているんだとしたら?
その可能性もゼロではないのだから
数カ月後、やはり死んでいたとわかったけれど
もし、今も見つかっていなければ、今も騙し騙し希望を感じて生きていたんかな
それも悪くないかな、なんてときどき思う
まあべつにわかってたし、心の準備できてたし、はっきりしてよかったっていうのもあったから
わかってしまったために絶望したってほどでもない
いいことなんだって思えたから、いいんだけどさ
あのニュースのお母さん、
どうしてるかな
ずっと子供を探していたけど、あの人的には実際見つからないほうが良かったん違うかな
とか
ちょっと考えちゃう
人によるんかな
私はどっちの方が幸せだったろうな