ayumiko

殴り書きしかしてない

幸せの瞬間は子供騙し

 

やっぱりあのとき死ねばよかった

今から死ねばいいのでもなく、親の絶対的な保護下になければいけない、親から守られて当然である小学生のとき、死ねばよかったんだ

 

 

 

母は昔から自分ファーストだった

 

不登校は自分の恥になるから許さない

子どもの尊厳を傷つける

自分の話すことがないからと子どものプライバシーを外に筒抜けにさせる

勘違いして心理的虐待

口答えしたらキレる時間が3時間増える

人格の否定

兄弟に自分の悪口を言う

兄弟との待遇に差をつけ、自分には何も与えない、兄弟が悪いことしても叱らない、叱らないどころか兄弟が自分に悪いことをしても兄弟の味方をする

自分が信じたいものしか信じない、それ以外は罵る

 

私のことなんて全然大切じゃないんだよね

死んでほしいんだものね

 

私が轢かれそうになったのを母が見て、「死んでもいいけど、こっちに迷惑かけずに死ね」って言った、その言葉が、

漠然と感じていた、“私のこと大切じゃない"証明をした

いや、大切じゃないどころか、まさか死を願われていたとは

まさかそれを発言するとは

それも、私を勝手に生み落としたこの人の口から

不要になったから自分で自分の命の始末をしろと言われているのが 許せなかった

 

だって、言う資格ないもの(親なんだから思う資格すらもないけど)

 

これまで私は 母が貧乏なことも許した

私を冷遇したことも許した

悲しいけど許した

「おまえみたいな人間が」って言われていたんだから、実際私はゴミなんだからそう思われて当然なんだからって、反発心もなく受け入れていた

(そういうとき自分のために怒れなきゃだめだって今は思うけど、だって親が自分のこと大切にしてくれなかったんだから、自分で自分のこと大切にできないよ

親は自分の指導者なんだから、それを素直に聞き入れられない子はまずいないと思う、中学生くらいになればまだ違うかもしれないけど)

 

死ね以外のすべてのことは許したが

それだけは、親が子供にだけは言っちゃいけないことだと思う

もちろん思うのは自由だ(思う資格はないが、思う自由は残念ながらある)

けど、産み落とした本人だけは、その対象に死ねと言っちゃいけない

そこは許すべきではないと、今でも強く感じている

 

だって母が私に教えたんだから

「死ねだけは言っちゃいけない」って

その母が私に死ねと言うんだから

許せるわけがない

(死ねだなんて命令形じゃなくて、申し訳ありませんが身勝手な私のために死んでいただけないでしょうか?ならまだ許せたかな?)

 

 

親の保護下にいなければならない小学生のとき自殺すればよかった

そんな年齢一桁の子供が死ねば、「親が子供を守らなかったから自殺したんだ」「母の責任だ」と、母は世間から思われるはず

母は外面だけはいいので、優しいと言われているけれど、その母の化けの皮を剥がすために私は死にたかったんだ

 

だって私、なんにも持ってないから死ぬしかないの

好きにできるのは自分の命だけだから

復讐する方法なんてそれしかない

 

 

中学生でも高校生でもない小学生のとき死ねば一生罪を着せられたのに

なんであのとき死ななかったんだ

 

 

後悔している

 

今こうして生きているのは、本来あるわけもなかった人生だと思っている

余分な人生だ

だから、いつも死ぬことばっかり考えている

 

 

いや、あれから幸せなこともあったんだよ

死なないで生きていてよかったと思う瞬間もあった

 

あったのだけど

 

なんか突然、引き戻されてだめ

あのときの感覚が蘇る

 

 

精神的な治療って 記憶を消してくれることだといいのに

だって治らないし忘れられないし

今でもこうして蝕むのなら全然過去のことじゃないんだ

現在のことでもあり、未来のことでもある

だからこれから希望とか、あるわけないし

こうして騙し騙し生きていくのなら

 

 

 

本当に、いくら考え方を変えてもだめだった

「自分は尊い命である」

「世の中の腐った根性のやつらよりはずいぶんマシな性格である」

「母も今は大切にしてくれている」

そう思っても感じてもだめ

これはもう本当に変わらない、変えられない

漠然とした、自分が望まれない命だという…なんだろうな

これはもう感覚の話だからうまく言えないんだけど

やっぱ、人格形成の時期にああいう事言われて育つと一生続くんだね

あのときの感覚がずっと続いて、もう変わらないの、どういうわけか

「自分なんか」って思うの、止められない

世界の人口で自分がランキング最下位に感じる

殺人犯とかサイコパスのほうがひどいんだから、さすがにそんなわけないって頭じゃ思っていても、そう感じてしまう

許されたいと思い続けてしまう

なにを?と、頭では思うんだけど

 

 

 

 

 

 

今でも私の中に、子供の私が住み着いているよう

 

いや、そっちが子供じゃなくて、歳をとった私のほうが、一時の幸せに騙されていた子供かと思うほど

 

滑稽だ

 

生きることが

 

生きていくことが

 

 

私の中の小学生が消えないことが

 

今を生きているのに、過去を生きているのが

 

 

 

 

滑稽すぎて生きるの恥ずかしい

 

だから、ものを食べることができなくなったんだよなぁ

食べることは生きるための行為だから

「生きたい」って言ってるみたいで

そんなこと思っていいはずないのに

なぜ給食食べないのかと先生に何度も吐かされそうになったけど

それだけは言えなかった

 

 

「死にたいのか」ときかれたとき、心の中でだけ「そうだよ」と答えた

無言で肯定したつもりだったけど、わからなかったでしょうね

 

わかんなくていいわ

 

また親の耳に入れられたら大変

母は私を殺してくれるわけでもなく、またしねしねしねしね言うだけなんでしょうから

 

いいご身分だよ

あんたは人に命令できる命かい?

 

 

 

すべて、期待せずに

死ねばよかった

 

変わったは変わったけれど、私は変わらない、変われない

あっちには 行けない

 

 

自分で自分の船漕いでいくしかないのに

 

変われないのに、そんないきなり、“生きる意欲"の方に舵を切れないのだわ

 

どうやって変われるのかもわからない

 

軍人でさえPTSDに苦しめられるのだから、

私なんてもう無理なんじゃないか

 

 

脳みそ壊れたら治らないんじゃない

認知症みたいに